- 2005.11.14 Monday 11:26
- 1.宿善論争とは何か
- Category : 親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか
- by shinrankai
法論の発端は、本願寺の学者紅楳英顕氏が、『伝道院紀要』第24号(昭和54年12月20日)に、「現代における異義の研究――高森親鸞会の主張とその問題点」と題し、「親鸞聖人の教えに反する、全くの謬見であり異義である」と、親鸞会非難の論文を掲載したことに始まる。20周年大会からちょうど1年が過ぎたころだった。
本会は即座に質問状を送付。かくて親鸞会と本願寺との法戦の火蓋が切って落とされた。
その後の法論の経過は、後で詳述するが、これは「宿善論争」と呼ばれ、争点は、「親鸞聖人のみ教えに善のすすめは、あるか(親鸞会)ないか(本願寺)」にあった。
「善を勧める親鸞会は間違いだ」と主張する本願寺に、高森先生は、反論文を『顕正新聞』紙上に連載された。
25周年大会直前の本紙(昭和58年10月15日号)には、「修善をすすめた文証など、あろうはずがない」とタンカを切る本願寺に、高森先生は弥陀の十九願文や、釈尊の『観経』の教説を明示し、本願寺を完膚なきまで論破なされている。
【顕正新聞 平成16年1月15日号】
浄土真宗親鸞会の歴史を語る上で、本願寺との教義論争は避けて通れません。
「教義論争で本願寺を完膚無きまでに論破した」との記述は、親鸞会発行の書籍や機関誌『顕正新聞』の随所に見られ、親鸞会の栄光の歴史として語られ、親鸞会教義の正当性の根拠としても大きな意味を持っています。
しかし、本当に親鸞会は「本願寺を完膚無きまでに論破した」のでしょうか。
筆者はこの件について公正な判断を得るために、本願寺側が発行した『伝道院紀要』『現代の教学問題』『派外からの異説について』を入手して読んでみました。
親鸞会の主張では、争点は「親鸞聖人のみ教えに善のすすめはあるか、ないか」であり、本願寺は「親鸞聖人に善のすすめはない」「善を進める親鸞会は間違いだ」「修善をすすめた文証など、あろうはずがない」と非難したと言われています。
しかし、不思議なことにこれら「本願寺の非難」は、筆者が入手した「本願寺側の論文」のどこにも見つけることはできないのです。
では一体この「親鸞聖人に善のすすめはない」という「本願寺の非難」は、どこから来たものなのでしょうか。
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- 2008.08.03 Sunday 11:26
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色々手段を考えてみますが、もし早急にお読みになりたいのでしたら、個人的にお見せするのは問題ないと思いますので、メールアドレスを書いて頂ければ直接お送りします。
ちなみに私は元会員として高森会長の事はよく知っていますが、全く尊敬はしていません。親鸞会の中にいたときは気づきませんでしたが、ただの俗人だと思っています。
私も、親鸞会のやり方は逸脱していると考えています。
一時期、親鸞会に関係する大学サークルに所属していましたが、
高森氏をなぜそこまで絶対視するのか常に疑問でした。
自分たち以外の考えは受け入れられないという姿勢。
目に余るものがあります。
こちらからも何度も親鸞会本部にメールにて質問してはいるのですが、
まったく返信されません。
このことから、なぜ答えぬ本願寺とは、自分を見ていないという言えない事です。
それは、ともかくとしまして、本願寺側から回答がないと主張していることも確認したいと思っています。
ですので、お手数ですが、「伝道院紀要」および「派外からの異説」をメールにてお教えいただけないでしょうか?