• 2008.08.03 Sunday
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この宿善論争の経緯を親鸞会側から著したのが、高森顕徹著『本願寺なぜ答えぬ』です。この中で高森会長は本願寺側の論文を「本願寺頭脳の浅知恵」「無責任本願寺」「批判のための批判、読むだけ時間のムダ」「手間のかかる、やんちゃぶり」と評しています。


なぜそこまでの非難を浴びせる必要があったのでしょうか。同書から引用します。



次に、本願寺が、親鸞会を非難する、第二条は、こうである。


「親鸞会は、宿善として自力諸善を積むように勧めているが、当流では他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならないなどという説示はない」(回答書(A)P・142)


先述の、一条にも、

「高森親鸞会では、未信の者は、信心決定をめざして、今生において、善根を積み、宿善を厚くせよ、と勧める」

と、いやに、力説なさる。


【本願寺なぜ答えぬ p80】



『回答書(A)』とは、灘本愛慈氏『現代の教学問題・宿善について』のことです。これらの灘本氏の指摘は、高森会長がその著書で、



過去世に仏縁薄き者、宿善浅きものは、現世に於て宿善は求められねばならない。でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない。


【高森顕徹著 白道燃ゆ】


宿善というものも待っていて来るものではなく、努力精進して求めてゆくものである。かかる人にこそ宿善到来ということがあるのである。


【高森顕徹著 会報3集】


布施は実に尊い宿善になることは判っていても欲深い我々には仲々出来難いことなのである。


【同書】


仏法を知らないものに対して当然法施は出来るし、またしなければならない。それは大きな宿善となるからである。


【同書】




と書いているように、極めて真っ当なものと言えるでしょう。(「宿善到来」「宿善開発」というのは、「他力の信心を獲る」「信心決定」と同じこと)


ところが高森会長は、この灘本氏の指摘を、



「諸善さえやれば、信心決定できる。まず、自力で善を励め」

爐海譴親鸞会の主張だ瓩函印象づけたい思惑が、みえみえである。

しかし、真実の歪曲は、許すわけにはゆかない。


【本願寺なぜ答えぬ p80】



ここで、いつの間にか本願寺側の主張がすり替わっているのに、読者は気づかれたでしょうか。


「他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならない」という文章と、「諸善さえやれば、信心決定できる。まず、自力で善を励め」という文章は明らかに意味も主張も異なるものです。


ですから高森会長は「印象づけたい思惑が、みえみえである」とあえて曖昧な表現を用いています。さすがに灘本氏が「諸善さえやれば、信心決定できる。まず、自力で善を励め」と主張しているとは言えないことを、分かっているからでしょう。


しかし、この表現はこのあと徐々に変わって行きます。同書には、



これら善知識方の仰せを、そっくりそのまま、説き続けている親鸞会を、

「まず諸善をつめ、諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」

と、非難なさる、のである。


親鸞会を少しでも、知っている者は驚き、かつは呆れるのも、無理はなかろう。

もっともらしく、書きつらねてある、回答書のすべてが、こんな調子で、事実を知るものからすれば、噴飯ものなのだ。


【本願寺なぜ答えぬ p103】


「親鸞会は、諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」

という、本願寺の非難が、いかに、デタラメな中傷か、ということを。

あまりにもひどいウソを、とりあえず指摘し、本願寺の注意と責任を、喚起しておく。


【同書 p105】


「善さえ励めば獲信できる」爐海譴親鸞会の主張だ

こんな本願寺の中傷を縁として、親鸞会は、聞法に勝る、獲信の因縁(宿善)のないことを開顕し、猜法は聴聞に極まる瓩海箸髻⇔論發靴討た。


【同書 p105】


「親鸞会は、善さえつめば獲信できるとすすめる邪義」と非難なさる。

 保身の為とあらば、シロを、平気でクロと断言して、はばからない、したたかさに、溢れている。


【同書 p110】



いつの間にか「印象づけたい思惑が、みえみえである」という文章は消え。あくまで「親鸞会は、諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」と本願寺が非難したと断言されています。


しかしいつそんな非難を本願寺がしたのでしょうか。灘本愛慈氏の『現代の教学問題』を熟読しても、その他の本願寺側の論文のどこをみても、「諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」との指摘どころか、似た文章すら見つけることはできません。


しかしこれほど露骨な歪曲をしていても、何度も繰り返し「善さえ励めば獲信できる」と書かれては、読者は本願寺が本当にそうした非難をしていると、錯覚してしまうのも無理はありませんし、それが高森会長の意図したところだと言われても、仕方がないのではないでしょうか。


  • 2008.08.03 Sunday 11:09
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