• 2008.08.03 Sunday
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親鸞聖人も蓮如上人も名号しか御本尊として礼拝しておられず、私たちにも名号を御本尊とせよと教え勧められました。


【高森顕徹著 親鸞会と本願寺の主張どちらがウソか p5】



宿善論争とは全く異なる展開を見せたのが、真宗本尊論です。


高森会長は「親鸞聖人も蓮如上人も名号のみを本尊とされた」とし、本願寺が木像を本尊としているのは誤りだと指摘したのですが、それに対して山田行雄氏が「現代の教学問題・真宗の本尊について」で高森会長の主張に反論しています。


その反論内容は多岐にわたっており、全てをここで取り上げることは出来ませんが、親鸞会にとってもっとも驚くべき内容は、蓮如上人が山科本願寺の阿弥陀堂にご安置した御本尊は、木像本尊であったという事実でしょう。



蓮如上人の本尊は、具体的には、蓮如上人が発願建立された山科本願寺の阿弥陀堂の本尊であろう。


文明十五年八月二十八日のご文に、


阿弥陀堂の仏壇(中略)いくほどなくして出来せり。則まづ本尊を六月十五日にすえ奉りけり。


と述べられ、山科本願寺の阿弥陀堂の本尊は文明十四年六月十五日に「すえ奉」られたとある。平尾興栄氏も注意されたごとく、このすえ奉られた本尊が、形像本尊であったか名号本尊であったかは、「据える」とある表現からも推察されるが、実悟師の『山科御坊之事並其時代事』に阿弥陀堂の荘厳を記するに、


木像本尊 安阿作 如今。左方北太子絵像 讃如常蓮如御筆・六高僧御影。右南法然聖人一尊御影 讃如常蓮如御筆 両方共に三具足、燈台あり。


とあり、ここに木像本尊(安阿作)とある。明らかに蓮如聖人は形像本尊を礼拝の対象として安置されていたことは歴史的事実である。


【山田行雄著 現代の教学問題・真宗の本尊について p100】



その他にも蓮如上人が形像本尊を下付されていた等の歴史的事実が述べられていますが、山科本願寺の阿弥陀堂に木像本尊を安置されていたという歴史的事実の持つ意味は比較にならないほどの大きな意味があります。


なぜなら、山科本願寺とは蓮如上人が晩年を過ごされたところであり、親鸞会で言えば現在の本部会館に匹敵するものだからです。



本願寺には親鸞聖人や蓮如上人よりも、信心も教学も深い人がいられるとみえて、何かとこざかしい自分の思考を入れて、最も重要な御本尊のことまで親鸞聖人や蓮如上人のなされたようにしようとはしていませんが、これが親鸞聖人に還れと教える者の態度でありましょうか。


【高森顕徹著 こんなことが知りたい】


あなたは、なぜ蓮如上人が、「絵像より名号」と言われたのか、その理由が納得できねば実行しないぞというお気持ちかもしれませんが、そんな理由はどうでもよろしいではありませんか。なぜなら、私たち、親鸞会会員は、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉は、すべて、如来の金言として頂いております。そして、身命を賭して教えに順ずる者です。

いちいち、親鸞聖人や蓮如上人のご教導に対して、その理由をききただし、自分が合点できなければ順わないという態度は、まことに愚かな、回り道でありましょう。


【同著】



親鸞会では自らの下付する名号本尊こそが、「正御本尊」であり、木像本尊や絵像本尊は「正しい真宗の本尊ではない」としています。しかし、もし親鸞会の主張が正しいのならば、蓮如上人のされたことは間違ったことになってしまいます。そして、親鸞会が何事も蓮如上人のなされたように行う団体であるならば、本部会館の御本尊もまた蓮如上人がなされたように「木像本尊」にすることを検討すべきでしょう。


すくなくとも、「親鸞聖人も蓮如上人も名号のみを本尊とされた」という自説は撤回しなければなりません。しかし高森会長はこの山科本願寺本尊の件には、未だ沈黙を守ったままです。本願寺に「責任のある回答を臨む」と再三にわたって要求するならば、自分もまた責任のある回答をするべきではないでしょうか。


私は決して、親鸞会の主張が間違っていると言っているのではありません。真宗の本尊は名号本尊とすべきだという同会の教義は、一つの教義解釈として充分に受け入れられるものです。


だた、例えば紅楳氏が親鸞会の質問に対して回答を出しても「満足の行く回答とは言えない」と再三再四回答を要求するならば、自らも同じ態度を持って応ずるべきです。そして、間違ったところは間違っていたとして、素直に訂正するくらいの度量はないのかと思うのです。


  • 2008.08.03 Sunday 11:02
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Comment:
2006/02/26 8:16 PM, SA wrote:
このHP面白いですね。
親鸞会の本尊論は結局の所間違っています。
元々改邪抄の解釈に誤りがある訳で、
非常に稚拙な論だと言えます。
2006/04/13 10:41 AM, 釈廣施 wrote:
そんな稚拙な論争に「勝光寺」の住職は門徒を巻き込んだ。
住職を寺から追放しなければならないという、大きな罪悪を門徒に課した事になる。
言語を絶する暴挙であり、大罪と言わねばならない。
その愚かしい生き方に私は涙する。
2008/10/19 7:52 AM,  wrote:
「他流には『名号よりは絵像、
  絵像よりは木像』というなり」
「当流には『木像よりは映像、
  絵像よりは名号』というなり」


(蓮如上人御一代記聞書)は歴史的事実を無視した書物ということですか?
それとも、蓮如は二重人格者であり、言ってることとやってることが違う人だったのですか?
2009/02/22 4:01 PM, AA wrote:
まず文言一部をぬきだし、その通りにしなくてはいけない&しないものを否定する。
これは教条主義といいます。
仏教はそもそも肯定否定をいたしません。
ひとつそこに誤りがあります。

蓮如上人の上の言葉は当時の神祕主義への言葉です。
皆が木像のみをありがたがっていた背景に対して南無阿彌陀佛の6文字を伝えたかったんでしょう。

今、名号のみとおっしゃる方こそ、その言葉を聞いていかねばならんと感じています。
2009/08/09 6:45 AM,  wrote:
親鸞聖人は善智識であり、御仏とは異なります。
名号に貼りあわせてはダメでしょう。
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