• 2008.08.03 Sunday
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あなたのお近くのあるグループで、時折りそういう法論・論争をこととする方々のうわさを、私なども見聞しております。ひたむきで情熱的で向学心一途のお姿には打たれますし、時に鋭く、的を射た教団寺院の現況への歯に衣着せぬ批判論議は、一在家人として共感を覚えるのでありますが、ただ一点、我のみを是とし、他を非として、対立的攻撃的に論争し論破せずばやまじの、偏執的なあり方に、学的信仰的論議以前の、原人間の姿勢として、抵抗を覚えずにいられないのは、私一人の印象ではないのでないかと存じますが、あなたの場合にもその高姿勢を、私の如き一在家人ですら、ふっと感じるのです。これは念仏の基本的な実践の問題でございましょう。


その念仏の教えという、原一点に帰りますとき、答えの得られぬ不満を相手方に責める前に、答えを得られぬ自らの問い方を、まずもって静かに、綿密に、深く、脚下照顧すべきではないだろうかと、私がそうした立場に立たされました場合、自らに言い聞かせてまいりたいと思います。あなたはいかがでしょうか。


念仏の一道は、他を責め、他を言い負かして自らを主張し、自らが高らかに勝ち誇る路ではなく、他のあり様を機縁に、自らを深く見据えて、常に低く敗北していく道でないかと存じますがいかがでしょうか。


【親鸞会発行 法戦第5集 p88】



これはNHK『こころの時代』に親鸞会が質問状を出した際、同番組の司会者から寄せられた手紙の一部です。


同書には個人の私信を無断でコピーして他の人に送付したことが書かれてあったり、ある浄土宗僧侶が「親鸞聖人映画製作委員会」に出した私信が、本人に無断で掲載されていたりします。


前述の「歪曲問題」にしてもそうですが、自らの満足する回答でなければ回答とは認めず、自らが絶対に正しく他は邪であり、邪を破るには何をしてもいい、何を言ってもいい、という姿勢が、高森会長をはじめ親鸞会に染みついているのではないでしょうか。



いよいよ坊主どもも頭へきたか。

入院はどこの精神病院にされるのかなァ。

お気の毒に。


【親鸞会発行 顕正一口メモA】



高森会長や親鸞会が本願寺を語るとき、そこにはこれでもかといった罵詈雑言に満ちあふれます。本願寺頭脳の浅知恵。無責任本願寺。批判のための批判、読むだけ時間のムダ。手間のかかる、やんちゃぶり…


親鸞会発行の書籍や機関誌は、いまだに執拗な本願寺批判と、対照的な高森会長への賛美の言葉で溢れかえっています。こうした親鸞会の姿を見て、日蓮正宗系のとある新宗教団体を想起する人は少なくありません。


親鸞会の人から見れば、高森顕徹氏は親鸞、蓮如両聖人以来の善知識であり、親鸞会は唯一絶対の真実を説く幸せな団体なのでしょう。しかしこうして高森氏の著書を読み込んでみると、高森氏に宗教者としての誇りや、気高さ、余裕といったものを少しも感じる事が出来ないのです。


残念ながらこれは決して私一人の個人的な思いではなく、私の知る多くの人が抱く共通の感情です。


そして、そういう指導者を戴く団体が、人々に本当の幸せの道を説けるとは、私にはどうしても思えないのです。


  • 2008.08.03 Sunday 10:52
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